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12/21/2010

西本願寺・御影堂@世界遺産

すごかった~~~


2/12/2009

日本の仏教

【密教】

仏教の流派の一。深遠で、凡夫にうかがえない秘密の教え。インドで大乗仏教の極に現れ、中国・日本のほかネパールチベットにも広まった。日本では、真言宗系の東密と天台宗系の台密とがある。秘密教。秘密仏教。

【天台宗】 法華経

仏教宗派の一。法華経を根本経典として一乗主義の立場をとり、五時八教の教判理論や止観の実践体系を特徴とする。中国で、北斉の慧文・慧思を経て、智顗(ちぎ)によって大成された。日本へは鑑真が最初にもたらしたが、本格的には804年(延暦23)最澄が入唐して学び、翌年帰朝して比叡山延暦寺を中心にこれを広めた。後に山門・寺門の両派に分かれ、中世末真盛(しんぜい)派が分出した。最澄(762~822)は密教・禅・戒も合せて伝えたので、日本の天台宗は総合的な学風を特徴とする。止観宗。天台法華宗。天台法華円宗。

【真言宗】 華厳経

仏教宗派の一。歴史上の釈迦仏を越えた永遠の宇宙仏である大日如来こそ真実の仏であるとし、大日経・金剛頂経などを所依の説教とする。胎蔵・金剛の両部を立て、六大・四曼・三密などの説により、即身成仏を目的とする。入唐して恵果(けいか)に学んだ空海(774~835)が帰国後、東寺・金剛峰寺などでこれを弘通(くずう)。のち古義・新義に分れ、現在は各派に分れている。真言陀羅尼宗。密宗。真言密教。

大日如来(梵語Mahavaiocana 摩訶毘盧遮那)宇宙と一体と考えられる汎神論的な密教の教主。大日経・金剛頂経の中心尊格。その光明が遍く照らすところから遍照または大日という。大日経系の胎蔵界と金剛頂経系の金剛界との2種の像がある。遍照如来。遍照尊。遮那教主。

阿弥陀(梵語Amitayusは無量寿、Amitabhaは無量光と漢訳) 西方にある極楽世界を主宰するという仏。法蔵菩薩として修行していた過去久遠の昔、衆生救済のため四十八願を発し、成就して阿弥陀仏となったという。その第十八願は、念仏を修する衆生は極楽浄土に往生できると説く。浄土宗・浄土真宗などの本尊。

薬師如来 薬師教に説く東方の浄瑠璃世界の教主。

仏陀(ぶつだ 梵語 buddhaの音写。目覚めた人の意で、悟りに達した人をいう)

菩薩(ぼさつ 梵語 bodhisattva 覚有情、悟りを求めて修行する人)

観世音(かんぜおん 梵語 Avalokitesvara 観察することに自在な者の意)

【真言】

②(梵語 mantra の訳語)密教で、真理を表す秘密の言葉。呪。陀羅尼。

【顕教】

[仏]言語文字で説き示された釈尊の教え。密教と対比して、密教以外のすべての仏教を含む。

【浄土宗】

わが国浄土門の一派。浄土三部経を所依とし、法然(1133~1212)を開祖とする。自力教を排して、他力念仏によって極楽浄土に往生することをその目的とする。

【浄土真宗】

わが国浄土門の一派。浄土三部経を所依とする。阿弥陀仏の他力本願を信ずることによって往生成仏できるとし、称名念仏は仏恩報謝の行(ひょう)であるとする。親鸞(1173~1262)を開祖とする。

【日蓮宗】

日本仏教十三宗の一。日蓮(1222~1282)を開祖とする。即身成仏・立正安国を期す。

【禅宗】

日本では、1168年(仁安3)栄西(1141~1215)が入宋して臨済宗を伝え、1223年(貞応2)道元(1200~1253)が入宋して、曹洞宗を伝えた。

【臨済宗】

禅宗の一派。唐の臨済を祖とする。日本では鎌倉時代に栄西が伝えたのに始まり、室町幕府は京都・鎌倉に五山を定めて保護した。公案によって弟子を教化する看話禅の立場をとる。現在15派に分れる。

【曹洞宗】

禅宗の一派。中国で洞山良价と弟子の曹山本寂によって開かれ、日本では道源が入宋して如浄からこれを伝え受けた。臨済宗が公案を用いるのに対し、只管打坐(しかんだざ)を説く。永平寺・総持寺を大本山とする。

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青柳洋介

2007年11月23日 (金) アート & サイエンス, メモリー | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)


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西本願寺
Nishihonganji01st3200.jpg
阿弥陀堂(重要文化財)
所在地京都府京都市下京区堀川通花屋町下ル
位置北緯34度59分31.37秒
東経135度45分5.8秒
山号龍谷山
宗旨浄土真宗
宗派浄土真宗本願寺派
寺格本山
本尊阿弥陀如来
創建年大谷本願寺 - 元亨元年(1321年)
西本願寺 - 天正19年(1591年)
開基大谷本願寺 - 本願寺第3世・覚如
西本願寺 - 本願寺第11世・顕如
中興年文明3年(1471年)頃
中興本願寺第8世・蓮如
正式名龍谷山 本願寺
別称お西さん
文化財国宝)書院、飛雲閣、
重要文化財)御影堂、阿弥陀堂、
絹本著色聖徳太子像、
公式HP本願寺(西本願寺)



西本願寺(にしほんがんじ Nishi Honganji)は、京都市下京区にある浄土真宗本願寺派本山
西本願寺は通称であり、正式名称は「龍谷山 本願寺」。京都市民からは「お西さん」の愛称でも親しまれている。真宗大谷派の本山である「東本願寺」(正式名称「真宗本廟」・下京区)と区別するため、両派の本山は通称で呼ばれることが多い。
境内は、国指定の史跡で、「古都京都の文化財」として世界遺産にも登録されている。
本願寺住職浄土真宗本願寺派の門主となる。
2011年4月9日より2012年1月16日まで、本願寺御影堂において親鸞聖人750回大遠忌法要が修行予定である。

境内には桃山文化を代表する建造物や庭園が数多く残されており、平成6年(1994年)に国の史跡に指定され、同年12月にユネスコ文化遺産に「古都京都の文化財」として登録されている。
建物の配置と構造は真宗建築の典型で、親鸞聖人像が安置されている御影堂(ごえいどう)が、北隣の本堂(阿弥陀堂)よりも大きく造られている。寛永13年(1636年)に建立された御影堂は、「寛政の大修復」寛政12年(1800年)及び「平成大修復」(1999年 - 2008年12月)と2回の大修復を経ている。

国宝 [編集]

国宝に指定されている文化財は、以下の通りである。
国宝建造物の詳細は、下記「国宝の建造物」の節を参照のこと。
  • 書院(対面所及び白書院)
  • 北能舞台
  • 黒書院及び伝廊 2棟
  • 飛雲閣 - 金閣(鹿苑寺)、銀閣(慈照寺)と並んで「京の三閣」と呼ばれる。
  • 唐門
  • 紙本墨画親鸞聖人像(鏡御影) 附:絹本著色親鸞聖人像(安城御影)・ 絹本著色親鸞聖人像(安城御影副本)
  • 『観無量寿経註』 親鸞筆 
  • 『阿弥陀経註』 親鸞筆 
  • 熊野懐紙(後鳥羽天皇宸翰以下11通)附:伏見宮貞敦親王御添状1巻、飛鳥井雅章添状1巻
  • 三十六人家集37帖、附:後奈良天皇宸翰女房奉書1幅

重要文化財 [編集]

重要文化財に指定されている文化財は、以下の通りである。
建造物
  • 御影堂 - 重要文化財指定名称は「大師堂」。これは、親鸞明治天皇から見真大師大師諡号を1876年に贈られたため。ただし、2008年の「宗制」改正によって、「見真大師」の語は「宗制」から削除されている。
  • 阿弥陀堂(本堂)
  • 玄関、浪之間、虎之間、太鼓之間 1棟
  • 能舞台(南能舞台)附:橋掛
  • 浴室(黄鶴台)附:廻廊
  • 鐘楼
美術工芸品
  • 絹本著色聖徳太子像
  • 紙本著色親鸞・如信・覚如三上人像
  • 紙本著色善信上人絵(琳阿本) 2巻
  • 紙本著色慕帰絵詞 画隆章、隆昌、久信筆 10巻
  • 絹本著色雪中柳鷺図(伝趙仲穆筆) 
  • 銅鐘(梵鐘
  • 歎異抄』 2巻 蓮如書写奥書
  • 教行信証』 6冊
  • 『唯信抄』 親鸞筆 
  • 『浄土三経往生文類』 自筆本(略本)
  • 尊円親王詩歌書巻 自筆本(鷹手本)
  • 版本『無量寿経優婆提舎願生偈註|浄土論註』 上下 2帖 建長8年親鸞加点奥書
  • 『伏見天皇宸翰歌集』(99首)
  • 『栄花物語』 15帖
  • 「恵信尼自筆書状類」 覚信尼宛 (10通)
  • 「証如上人極官関係文書」 3幅、2巻
  • 「親鸞自筆書状類」(4通) 2巻
  • 『天文日記(光教日記)』自筆本  56冊、11巻
  • 「本願寺御影堂留守職歴代譲状」(18通)12巻

特別名勝・史跡 [編集]

  • 本願寺大書院庭園

名勝 [編集]

  • 滴翠園

国宝の建造物 [編集]

書院(対面所及び白書院)
御影堂の南西に位置する。近世書院造を代表する建築の一つである。入母屋造妻入り、本瓦葺きで、平面規模は桁行(本建物の場合は奥行)38.5メートル、梁行(間口)29.5メートル。南側の対面所と北側の白書院から成るが、両者は元来別々の建物であった。本建物を豊臣秀吉伏見城の遺構とするのは俗説で、実際は後述のとおり江戸時代の建物である。対面所の主室は欄間に雲と鴻(コウノトリ)を透彫りにするところから、「鴻の間」とも呼ばれる。広さは下段のみで162畳、上段を含め203畳、天井は格天井とする。襖、壁等の障壁画は本願寺お抱え絵師の渡辺了慶の筆と推定されている。正面奥(北側)は東西方向に長大な上段とし、中央に大床(おおどこ)、左に帳台構を設ける。上段の東には床高をさらに1段高めた上々段があり、違い棚と付書院を設ける。対面所の西側には雀の間、雁の間、菊の間があり、北側は納戸2室を挟んで白書院である。白書院は西から東へ三の間、二の間、一の間(紫明の間)からなる。一の間には変形10畳の上段があり、床、棚、付書院、帳台構を備える。なお、対面所と白書院三の間は、畳を上げると板敷きで、能舞台としても使用できるように工夫されている。寺の文書によれば、対面所は元和3年(1617年)の西本願寺の火災後まもなくの建築で、当初は御影堂の南にあったが、寛永10年(1633年)に現在地に移築したという。この時に対面所と白書院を合体させたものと推定され、したがって、白書院は寛永10年以前の建立ということになる。書院は原則非公開。期日を限って特別公開の行われる場合があるが、それ以外の時期の拝観には事前の許可が必要である。
黒書院及び伝廊
黒書院は対面所及び白書院の北東に位置し、伝廊とともに国宝に指定されている。桁行21.5メートル、梁行13.9メートル。寺の記録から明暦3年(1657年)の建立とわかる。屋根は寄棟造、こけら葺きで、主屋部分と庇部分に分けて2段に葺く。前述の白書院が表向きの接客空間で、金地障壁画や彩色透彫の彫刻などで意匠を凝らしているのに対し、黒書院は門主の生活の場としての内向きの空間である。屋根は前者の瓦葺きに対してこけら葺きとし、内部の意匠は水墨の障壁画、土壁、面皮柱、棹縁天井などを用いた数寄屋風の造りとする。東側の一の間(11畳)、西の二の間(20畳)のほか、広敷の間、鎖の間、茶室などがある。一の間の床、棚、付書院なども草庵風の造りである。建物の東北隅は、一部を床を張らない土庇とし、外部空間を屋根内に取り込んでいる。黒書院は非公開である。
北能舞台
書院(対面所及び白書院)の南北にある能舞台のうち北側のもの。正面入母屋造、背面切妻造、檜皮葺き。修理時に天正9年(1581年)の墨書が発見されたが、これは部材に貼られた紙に書かれていたもので、ただちに建立年代を示すものとは考えられていない。正確な年代は不明ながら、江戸時代初期の建立で、現存する能舞台としては最古のものといわれている。
飛雲閣
境内南東隅の滴翠園(てきすいえん)内、滄浪池(そうろうち)と名付けられた池に面して建つ、3階建の庭園建築である。3階建であるが、各階は平面の大きさを変え、屋根などの意匠も左右相称を避け、変化に富んだ外観をもつ。古来、豊臣秀吉聚楽第の遺構と伝えるものであるが、確証はなく、実際には江戸時代の建物と推定されている。1階は池から船で直接建物内に入る形式の船入の間、上段・上々段を設けた主室の招賢殿、八景の間、茶室憶昔席(いくじゃくせき)などがある。憶昔席の部分のみは建築年代が明確で、寛政7年(1795年)、茶人藪内竹蔭らによって増築されたものである。2階は周囲の板戸に三十六歌仙の像を描いた歌仙の間、3階は摘星楼と名付けた8畳で、1・2階の書院風に対して草庵風の意匠となっている。飛雲閣は原則非公開であるが、外観のみ期日を限って特別公開される場合がある。
唐門
境内の南側、北小路通に面して建つ。境内東側の御影堂門、阿弥陀堂門がそれぞれの堂への入口であるのに対し、唐門は書院(対面所)への正門である。前後に計4本の控え柱をもつ四脚門形式で、屋根は檜皮葺き、正背面は唐破風造、側面は入母屋造とする。中国の許由張良の故事を題材とした極彩色彫刻と鍍金金具で各所を装飾しており、日暮し眺めても飽きないとされることから「日暮門」の俗称がある。伏見城の遺構とも伝えるが確証はない。寺の記録によれば、元和3年(1617年)の寺の火災の翌年に、旧御影堂門を移築したものというが、移築前の建立年代ははっきりしない。[1]

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